ABOUT

大野屋の歩み

美味しい物づくり。
みんなに愛される味を。

ごあいさつ

ホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。

苺大野屋は、数多くの神話が今も息づく町、宮崎県西都市の豊かな自然に囲まれた地で、苺づくりに向き合っています。

私たちが大切にしているのは、ただ「おいしい」だけで終わる苺ではなく、召し上がった後も心と体に静かに残り続ける「美味しい記憶」をお届けすることです。

その想いのもと、手間を惜しむことなく、自然と丁寧に向き合いながら、日々の栽培を積み重ねてきました。

苺一粒一粒には、育った土の状態、水、微生物そして人の想いまでもが、正直に表れるものだと私たちは考えています。

苺づくりを通して、私は多くのつながりのありがたさ。
そして、挑戦し続けることの大切さです。

大野屋の苺は、味だけを追い求めた苺ではありません。

微生物が豊富な健やかな土壌で育てることで、苺が本来持っている力を引き出す栽培を何より大切にしています。

その結果、体に取り込まれやすいミネラル成分を多く含み、栄養素も自然なかたちで体に吸収されやすい状態に育っていることが、分析や評価を通して少しずつ明らかになってきました。

私たちは、「何を足すか」よりも、
「どんな土で、どんな環境で育てるか」を最も重視しています。

それこそが、味わいの奥行きとなり、食後の心地よさへとつながると信じているからです。

苺との出会いに感謝し、日々支えてくださる皆様とのご縁に心から感謝しながら、これからも本質を大切にした苺づくりを続けてまいります。

どうぞ、大野屋の苺をお楽しみください。

大野屋代表 大野高幸

社名(商号)
苺 大野屋
チームリーダー
大野 高幸
住所
〒881-0026
宮崎県西都市大字穂北1384
電話番号
080-3968-8344
FAX 番号
0983-32-7603
ホームページ
https://15oonoya.com/

苺大野屋のあゆみ

私は、宮崎市中心部でラーメン屋を営む家の次男として生まれました。

父方、母方ともに代々商いを生業とする家系で育ち、幼い頃から「働くこと」「人と向き合うこと」は、特別なことではなく、日常の一部として存在していました。

母の実家は宮崎県高岡町で牛専門とする獣医を営んでおり、幼少期の私は頻繁に祖父のもとへ通っていました。
そこには、うさぎ、犬、猫、豚、鶏、ちゃぼ、鯉、金魚など、数えきれないほどの命がありました。

獣医という仕事柄、動物は「かわいい存在」であると同時に、「命として向き合う存在」でもありました。
生き、育ち、そして終わりを迎える命を日常の中で見つめてきた時間が、今の私の感覚の土台になっています。

兄の影響、そして父が小学校のサッカー監督をしていたこともあり、私は2歳の頃からサッカーボールに触れて育ちました。
当時としては異例でしたが、宮崎小学校のサッカー部に通い、小学生たちに混じって練習をする環境で過ごしました。

サッカーは、私にとって遊びであり、学びであり、生き方そのものでした。
仲間と走り、ぶつかり、考え、支え合う。
中学校卒業まで続けたサッカーは、後の人生においても、粘り強さや現場感覚の原点となっています。

また、音楽も幼少期から身近な存在でした。
父がレコード収集を好んでいた影響で、家には常に音楽が流れており、自然と音に親しむ環境で育ちました。

10代後半になる頃には、音楽は単なる趣味ではなく、心の支えとなっていました。
今でも音楽は、人生の節目や苦しい時期を支えてくれる存在であり、 農Music, 農 Life――この言葉は、私にとって実感そのものです。

小学校低学年の頃、今振り返ると恥ずかしいことですが、私はいじめをしてしまう側の子どもでした。
そんな私の人生に大きな転機を与えてくださったのが、小学校時代に出会った恩師、 通称「仏のイケちゃん」こと池田先生です。

先生は、当時の私にシマリスやインコ、小鳥などの小さな命を預けてくださいました。
命の世話をする日々の中で、自然と、他人を傷つけることよりも、守ること、育てることへと心が向いていきました。

後になって思えば、あの頃に私は、幼い頃から身についていた「命と向き合う感覚」を、もう一度取り戻していたのだと思います。

16歳頃からは、熱帯魚の世界に深く没頭しました。
水草水槽から始まり、やがて海水魚、サンゴ礁の世界へ。
120万円以上をかけて水槽システムを自作し、水温管理、空調、循環設備まで、すべて自分で組み上げました。
実際に海水を購入し、本格的に管理していた時期もあります。

海水水槽で学んだ最も大きなことは、 どれほど設備を整えても、微生物のバランスが崩れれば、命は一瞬で失われるという現実でした。
目に見えない微生物が循環を支え、分解し、浄化し、命を成り立たせている。
この感覚は、後の農業人生において、揺るぎない基盤となります。

また、動物を飼い、命を預かる中で、 健康とは「与えること」ではなく、 環境そのものを整えることから生まれるのだと、体で学んでいきました。

20歳頃からは盆栽、ミニ盆栽にも魅了され、 宮崎市の名匠・野本珍松園 野本様のもとへ通い、育てること、待つこと、手を入れすぎないことを学びました。
良い姿は、良い土からしか生まれない。
表に現れる姿は、土の中で起きている営みの結果にすぎない――
この感覚が、ここで深く刻まれました。

こうして振り返ると、 熱帯魚、海水、動物、盆栽。
一見ばらばらに見える経験は、すべて「環境」「循環」「微生物」という一本の線でつながっていました。

中学校卒業後、私は土木作業員として社会に出ました。
現場で汗を流し、18歳頃には現場管理も任されるようになります。

20歳頃からはアパレル業界に入り、宮崎市内の古着店に勤務。
販売、仕入れ、店長業務を経験し、多くのご縁に恵まれました。
その後、再び土木の仕事に戻り、実家の商いを手伝うなど、試行錯誤の20代を過ごしました。

30歳を迎えた頃、それまで点在していた人生の経験が、少しずつ線になり始めました。
そして、その線が自然と向かっていった先が、農業でした。

32歳で宮崎県農業試験場 野菜部へ研修に入り、35歳で就農。
研修期間中、とくに最後の1年間は「苺」に特化し、現地試験や実証圃場へ積極的に足を運びました。

宮崎の気候に適した苺品種、夏・春それぞれの環境条件下での栽培試験など、 多くの現地実験に携わり、実際の圃場でしか得られない知見を重ねていきました。

農業博士・黒木修一様からは、天敵昆虫に関する現場での観察と判断、理論と実践を結びつける講義まで、多岐にわたるご指導をいただきました。

研究室だけではなく、圃場に立ち、土に触れ、作物を観る。
この試験場時代のご縁と経験が、現在の苺づくりの土台となっています。

2014年4月1日、研修を終え、苺大野屋(苺OONOYA)を立ち上げました。
現在の農地は、研修時代にご縁をいただいた野菜部部長とのつながりによって巡り合えた、大切な土地です。

しかし、農業1年目は想像をはるかに超える厳しさでした。
大赤字、苺が作れない状態、農協からの出荷停止。
私生活では離婚も経験し、心身ともに追い込まれた一年でした。

それでも、2年目に心に決めたことは一つだけでした。
「誰よりも本気で、良い苺を作る」。
その想いだけが、私を前へ進ませました。

農業2年目。
人生が大きく揺らいだこの時期に、今の妻と出会いました。
出会いは、苺農家の紹介でした。

彼女もまた苺農家で、当時すでに4年ほど経営を続けていました。
お互いまだまだ新米農家でしたが、不思議なほど自然に意気投合し、やがて結婚へと至りました。

結婚当初の栽培は、農協指導を中心とした、化学肥料・農薬主体の一般的な栽培。
現在の自然栽培・有機栽培とは、かけ離れたものでした。

栽培方針を巡って、最初の5年ほどは、夫婦で何度もぶつかり合いました。
意見が食い違い、感情がぶつかり、悩み、迷い続けた日々。
それでも、畑に向き合い続ける中で、少しずつ「違和感」がはっきりしていきました。

そして、行き着いた先が、 動物――ヤギでさえ畑の葉を食べられるほどの、有機・自然栽培でした。

栽培が変わると、苺は正直に応えてくれました。
品質はもちろん、何よりも「味」そのものが、明らかに変わっていったのです。

その変化を、誰よりも近くで感じていた妻が、
「この栽培なら、間違いない」
そう言ってくれたことは、今でも忘れられません。

今では同じ方向を向き、 彼女がいるからこそ、農業に向き合い続けることができています。

農業だけでなく、これまでの経験を生かしたカフェ運営。
生産・加工・販売を一体とした、いわば“六次産業”としての農業。
農業をしながらカフェを運営できているのも、 妻をはじめ、支えてくれる人たち、周囲の力があってこそです。

2015年、宮崎県内の苺農家を巡る中で、大津留様と出会いました。
苺づくりの基本、そして土づくりの本質を徹底的に教えていただき、 この出会いが苺大野屋の礎となりました。

栽培と土が安定し、地元卸売市場を通じて県内外の百貨店・スーパーへ出荷を開始。
老舗和菓子店様への直接販売も始まりました。
2019年には西都市のふるさと納税へ出品し、2020年にはECサイトを開設しました。

2021年6月25日、土づくりセミナーをきっかけに、潮田武彦様と出会いました。
翌年より潮田武彦様の実家である、筑西アグリ株式会社に肥料・微生物資材をご提供いただき、栽培は新たな段階へと進みます。

農業試験場時代から可能性を感じていた品種「やよいひめ」。
品種を徐々に絞り、現在はやよいひめに特化した栽培を行っています。

それを機に、(当時)代表の潮田武さんから直接連絡が来るようになりました。

筑西アグリ代表・潮田武先生からは、時に1日3時間にも及ぶご指導をいただきました。

潮田武様は、品種「やよいひめ」の開発者である群馬県の苺名人・保坂氏へ、 35年以上にわたり栽培・土づくりの指導を続けてこられた農業博士です。

2023年4月11日、亡くなられる直前まで対話を続けさせていただいたことは、 今も私の大きな支えとなっています。

2023年11月23日。
それまで卸していた百貨店との取引が終了し、直接農園へ苺を買いに来てくださるお客様が増えました。

そこから直売所計画が始まり、直売所兼カフェとしての苺専門店を立ち上げる決意をしました。

苺大野屋は、生産・加工・販売を一貫して行う農家として、 苺の魅力を、まっすぐに、誠実に届ける場所を目指しています。 ⸻
これまで出会ってきた人、土地、命。
そのすべては偶然ではなく、点と点がつながり、苺へと導かれてきた必然でした。

苺と出会えたこと。
苺から学び続けられていること。
この奇跡に、心から感謝しています。

世界に誇れる、高品質で、安心して食べていただける苺を作り続けること。
それが、苺大野屋の使命です。

SUPPORT MEMBER

◆Kaz Studio
黒木 一明(くろき かずあき)

1956年宮崎県西都市生まれ。
1986年ロサンゼルスにカズスタジオ設立。1990年ドンキューブリ氏の紹介で、ニューヨークで広告写真界の巨匠アービングペン氏に出会う。この時、写真は究極的には哲学で決まるという啓示を氏より受け、この出会いが後の写真活動の転機となる。 1993年広告写真から一転、風景写真にフィールドを移す。
1996年シアトルに事務所を移転。1998年富士フォトサロン(東京、福岡)で『The Color of America』展を開催。2000年ペンタックス、フォーラム(東京)で『The Color of America 2』展を開催。
朝日新聞東京本社、宮崎空港ビルで、九州・沖縄サミット、宮崎外相会合記念イベント。
『The Color of Saito』『The Color of Aya』展を同時開催。
『綾の色』より